庭園と仏像の古刹、摩訶耶寺
摩訶耶寺は、神亀3年(726) 行基によって新達寺として開創されました。
富幕山に開創された新達寺は平安時代に千頭ヶ峯の観音岩と呼ばれる場所に移り名を真萱寺へと変え、やがてマカヤ寺と呼ばれるようになり、平安時代末期に一条天皇の勅願により今の場所へと移りました。
御本尊の厄除正観世音菩薩(秘仏)は奈良時代から今日まで、度重なる兵火・天災から僧たちによって守られ、受け継がれています。
摩訶耶寺は古くから厄除けの寺として知られ、袋井の法多山、祝田の善明寺の観音様と三姉妹観音で、その長女が摩訶耶寺の御本尊なのです。
庭園は平安末期から鎌倉初期の日本の中世庭園を代表するもので、座視鑑賞式池泉庭です。
不動明王像(平安時代末期の作)と千手観音像(藤原時代初期の作)は国の重要文化財に指定され、また阿弥陀如来像(平安時代末期の作)は県の重要文化財に指定されています。
千手観音修復のお知らせ
当寺の千手観音像は現在修復中です。令和2年5月20日に搬出されました。
修復後、令和3年3月25日(木曜日)~4月25日(日曜日)まで浜松市美術館に展示されます。
当寺に戻るのは令和3年5月上旬を予定しています。
みほとけのキセキ-遠州・三河の寺宝展-
重要文化財である摩訶耶寺の千手観音と不動明王が来年3月、浜松市美術館で公開されます。千手観音は、87年ぶりの修復後初公開となります。
令和3年3月25日(木曜日)~4月25日(日曜日)浜松市美術館
〒430-0947 静岡県浜松市中区松城町100−1
寺宝展示 中国儒教三士桃苑図
画師 恩田石峰(おんだせきほう)1775~1847
安永4年、豊橋曲尺手町生まれ。幼い頃から画を好み、長じて京都に行き応挙十哲の一人といわれる渡辺南岳に師事し、四条円山派に学んだ。
師の南岳にその画才を認められ、画系を継ぐようにと望まれたが、吉田の生家に継嗣がいないので辞退し帰郷して画を描く傍ら父に花道を学ぶ。
また、文化7年(1810)、京都で催した展覧会で呉春、南岳、文晁らと共に三河から石峰ただ一人出品し、その名を東西に知らしめた。そして、当時、その名は渡辺崋山をしのぐほどでもあった。